クラシック半券ギャラリー
※コラム「オペラ・クラシック雑感」に掲載したものです。 

1998年07月20日(月)

小林研一郎指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団

プログラム
スメタナ:「我が祖国」より
ヴィシェフラト
モルダウ
シャルカ
<休憩>
サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」
<アンコール>
「ダニーボーイ」
サン=サーンス:交響曲第3番最終楽章結部(約40秒)

1998年07月21日筆

前半の3曲についてはチャコ・フィルと「我が祖国」を録音しただけ後だけに非常に興味がありました。

まず、「ヴィシェフラト(高い城)」。
席の場所のためかもしれませんが、冒頭ハープの音量の大きさに驚きました。過去から吟遊詩人が語りかけると言うより、私の方が急なタイムスリップをした感じでした。そして、ハープが、管楽器への受け渡しの時にスッと音量を落とすあたりの微妙なところが分かってしまったのは、仕掛けが見えてしまった感じがしました。しかし、この時点で私は冒頭から涙が出そうなほどすっかり音楽にのめり込んでいました。チェロの音の厚さが、また素晴らしかった。その後も目から鱗が落ちるような演奏でした。オケもヴァイオリンやティンパニーのボコボコしすぎる音に不満を感じなくもなかったが、冒頭からの団員の燃え方に感動しました。

「モルダウ」
前曲から間を空けずに演奏されました。この方法には緊張感が途切れず賛成。冒頭のフルートの速さから、一筋縄ではいかないと感じさせられました。楽章を通じた舞曲のリズム、テンポ感が生き生きしていました。この時、前曲から感じられた感動は、このリズム感からのくるのだと分かりました。コバケンにはこのリズムが身についているのだろうし、これが身についていない指揮者の「我が祖国」は本物(?)でないような気がするように思えました。そして、フィナーレ直前の「ヴィシェフラト」のテーマの強奏。すべてが躍動的な音楽で素晴らしかった。

「シャルカ」
コバケン独特の密度の高い音、そして全楽章同様、生きた音楽がうれしい!フィナーレのオケの崩壊のような結末は圧巻でした。

「3曲通じて」
休憩の後、「我が祖国」の後半を演奏して欲しいと思いました。こう思ったは私だけではないはず。東京では別のオケで全曲演奏したからでしょうか?加えて、チェコ・フィルの渋い音がプラスされていればと思ったのは贅沢でしょうか?

「サン=サーンス:第3番オルガン付き」
コバケンの「オルガン付き」は2度目(前回は日本フィル、東京芸術劇場。)オルガンの入っている部分では、縁取りのようにオルガンが鳴っており、そのなかでオケが演奏されていると言う感じでした。まるで、オルガンの鳴り響く荘厳な教会の中で、人々が現世について語っているように思えました。

コバケンの解釈も「暗から明へ」の移り変わりを明確に出したもののようでした。フィナーレを聴いても、「我が祖国」の「シャルカ」を崩壊という解釈で終わらせたのに対して、確固たる終結という対照的なものでした。ここのティンパニーが非常に印象的でした。
「我が祖国」のあとにフランス物と頭の切り替えが難しい部分がありましたが、金管のトランペット&トロンボーンのソロがはっきりとしていたのが記憶に残っています。ただ、フランス物だけに、音がダンゴ状態のような気がしたのが残念。

フィナーレ直前の加速などの快適さは「さすがコバケン」というところでした。

「アンコール」
1曲目は、コバケン得意の「ダニーボーイ」。やっぱり、低音弦楽器がしっかりしていることを再認識。

その後の「サン=サーンス:交響曲第3番最終楽章」終結部約40秒だけのアンコールには不満。なんだかまとまらない演奏。当日は録音していたようですが、最後の部分だけ失敗したのでしょうか?そのためのやりなおし?なんて邪推してしまいました。


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